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以下は、地域情報誌「DADA」に紹介された記事です。

 

清凉山不動院のこと 上

地域: 多賀町2014年7月30日更新


神仏習合の不動院

 多賀町敏満寺にある清凉山不動院(高野山真言宗)は不思議なところである。

 僕は「何かある」と不動院を訪ねることが多い。「何か」というのは、日々平穏無事を祈り、そのバランスが崩れたような時だ。住職の佐々木琳慧(りんけい)さんに、祈祷をしていただき、気を整えていただく(県外の参拝者も多い)。毎月通っていた頃もあったが今では年に2回か3回と随分と横着をしている。そんなこんなでもう20年ほどになる。

 般若心経を覚えたのも不動院を訪れたのがきっかけだった。僕は不動院の信者ではない。どちらかといえば絶大なるファンである(それを信者というのかもしれない)。

 不動院が好きなのは佐々木さんのオリジナリティーだ。仏典、密教の加持祈祷術は勿論だが、暦を熟知し、諸葛孔明以来の奇門遁甲を極め、易、陰陽道、風水、気功、そして神道にも深く通じておられる。僕は、それら全ては世界(宇宙)の成り立ちを説明するために積み上げられてきた人間の知識だと思っている。佐々木さんは平易な言葉で解読してくださるので興味津々なのである。

 そしてもうひとつ。これは日本で唯一、不動院だけだと思うのだが、神仏が習合しているのだ。祭壇の最上段には「四面火焔不動尊」(毎月28日御開帳)の御厨子、手前に御神体である鏡が祀られている。僕は、「明治維新後の神仏分離が行われる以前は、こんな感じではなかったのか!」といつも感動するのだ。

 先日、久し振りに不動院を訪れた。「不思議なことがあるものですね」と、大抵は僕の不思議なことの話から始まるのだが、この日は佐々木さんの不思議なことだった。いくつも聞いたのだがそのひとつを記しておきたい。

 猫が庫裡の棚に置いてあったものを落としたらしく、何気なく思い立ち整理を始めた。そうしたら、先々代まで使っていた祈祷の法具が出てきた。更に御神体だったと思われる鏡も見つかった。磨いてみると法具は元禄8年(1695)に寄進を受けたものであることが判り、鏡は銀色ではなくどちらかといえば赤みが強い黄金色だった。小柄も出てきた。「祈祷に使っていたのでしょう。本物の日本刀ですね。鏡は祭壇にある鏡と対を成すものだったのかもしれません。日輪と月、或いは、陰陽。これで揃ったわけです」。

 祭壇の様子が違うなと思ったのは、「四面火焔不動尊」の御厨子の手前に、以前から祀られている御神体の月(銀色)の鏡、そして更に手前に日輪の鏡が祀られていたからだ。

 不動院は遡ればおよそ1350年前多賀大社奥の院胡宮神社に建立された「八百八坊」に端を発し、その不動尊は神仏習合の時代には近江守護佐々木氏歴代の守護本尊だった。僕は「神仏分離が行われる以前のパーフェクトな祭壇ではないのか!」そんなことを考えていた。

 「高野山は来年開創1200年の記念すべき年を迎えるわけですが、開創を記念して、「弘法大師の飛行三鈷」をかたどった御本尊(祈念三鈷)・木製「撫で三鈷」・奥之院に今も灯り続ける「不滅の聖燈」をリレーして各地の寺院で記念の法会や催しが行われています。庫裡の整理をだいたい終えた頃、滋賀県は不動院で展示をと本山から電話をいただきました。不思議なこともあるものです」と佐々木さん。

 僕はいつものように祈祷をしていただいた。この日は法衣をまとい祝詞を奏上し小柄で魔を払う佐々木さんの姿の方がよほど不思議だった。これが、日本本来のカタチなのかもしれない。 

 


清凉山不動院のこと 中

地域: 多賀町2014年8月18日更新

 

僕はいつものように祈祷をしていただいた。佐々木さんは、大抵、般若心経を唱え、「臨・兵・闘・者・皆・陳・烈・在・前」と、刀印(とういん)を結んで九字を切り、不動明王の真言を唱え、手刀をおさめる。その後、全く想像もつかない独得の方法で気を整えてくれるのだが、この日は法衣をまとい祝詞を奏上し、九字を切るときとは別の言葉を唱え、多分、魔を払った。

 

その姿はよほど不思議だったが、これが、神仏が習合していた日本本来のカタチなのかもしれないと思った。小柄は、庫裡から出てきたという先々代まで使っていた法具と共にかたづけてあったものだから、絶大な力があったに違いない。 僕はいつも佐々木さんと話す時間を多く持ちたいと思っている。囚われない自由な発想と工夫、そして毎回、進化されているだろうその姿が興味深い。

 

佐々木さんにとっては進化だろうが、実は、その手探りの進化は神仏習合の原点へと向かっていると思えてならないのだ。 6世紀半ば大陸より日本に伝来した仏教は、聖徳太子によって確立されたといわれる。在来の日本の神との共存関係において神仏習合という形態が生まれていく。そして、日本古来の神の観念と密教思想を融合させ、神仏習合思想に大きな影響を残したのが、平安初期に真言密教を開いた空海(弘法大師)なのである。

 

8月19日から21日の間、「弘法大師の飛行三鈷」をかたどった御本尊(祈念三鈷)・木製「撫で三鈷」・奥之院に今も灯り続ける「不滅の聖燈」が、不動院で展示される。佐々木さんの進化と高野山結縁行脚の時期の重なりがまた僕には面白い。 結縁行脚が終わって一段落した頃に僕は不動院を訪ねてみようと思っている。どんなふうに佐々木さんが進化しているのか、祈祷法の変化、そして何より話を聞くのが楽しみなのである。

 

 

清凉山不動院のこと 下

地域: 多賀町2014年8月18日更新

 

 多賀町敏満寺にある清凉山不動院(高野山真言宗)は不思議なところである。そして、僕が不動院を好きなのは、住職の佐々木琳慧(りんけい)さんのオリジナリティーだ。仏典、密教の加持祈祷術は勿論だが、暦を熟知し、諸葛孔明以来の奇門遁甲を極め、易、陰陽道、風水、気功、そして神道にも深く通じておられる。祭壇の最上段には「四面火?不動尊」の御厨子、手前には、御神体の鏡が二つ祀られている。

 前回、「僕はいつも佐々木さんと話す時間を多く持ちたいと思っている。囚われない自由な発想と工夫、そして毎回、進化されているだろうその姿が興味深い。佐々木さんにとっては進化だろうが、実は、その手探りの進化は神仏習合の原点へと向かっていると思えてならない」と書いたが違っていたようだ。

 高野山は来年開創1200年を記念して、「弘法大師の飛行三鈷」をかたどった御本尊(祈念三鈷)・木製「撫で三鈷」・奥之院に今も灯り続ける「不滅の聖燈」を各地の寺院でリレーし、記念の法会や催し『高野山結縁行脚~大師の三鈷と不滅の聖燈~』が行われている。滋賀県は不動院で8月19日から21日の間、一般公開され、僕も20日、不動院を訪れた。この時、佐々木さんの祈祷について「手探り」という表現が正確ではなく、「先々代のやり方の復元」だったということを知った。

 

 「佐々木家の先々代は神職が先でして、そのあと高野山で修行して真言僧となっております。鏡にせよ祝詞にせよ、私の祈祷は、先々代がやっていたテキストをそのまま復元したものです。50年ぶりくらいになります。効果は半端ではありません。テキストは、先々代の佐々木宰相(祖母)が記したものです」と佐々木さんの説明を受けた。

「空海さんの時代、石のお墓もなく、仏壇もなく、檀家制度もありませんでした。お寺に期待されているのはひたすら『霊能力』。力がない寺はすぐなくなる。お寺もベンチャーの時代だったのかもしれません。不動院にもちゃんと檀家はありますが、檀家に頼ることのなかった空海さんの時代のカタチにもどっていく、このあたりが非常に面白いところだと思います。多くの人の悩みを聞き、神仏の媒介となり、人々をお救いする。それが、そういう能力を与えられた者の仕事であるはず」と佐々木さんはいう。    

 関ケ原の戦いの石田三成の旗印は「大一大万大吉」。様々な解釈はあるだろうが、「とにかく、今、この世で、まず、みんなで幸せになろうよ」という意味だと思っている。生きている間に幸せになろう。佐々木さんの在り方と似ているかもしれない。

 現世利益……、痛みや苦しみから解放され、平穏無事に何事もやり過ごせるなら僕はもう十分だと思っている。近い将来が大事なのだ。今、自分自身に力がなくては誰も幸せにすることができないのだ。

 僕は「不滅の聖燈」の光を受け、不動院代々の祈祷をしていただいた……。祈祷の前に太鼓を叩き、法衣を纏い祝詞を奏上し、大幣(おおぬさ)を使う佐々木さんに任せておけば大丈夫だろと、僕はあくまで他力本願だ。あと一歩の力、ほんの少しの安心、そういうものが、とても大切なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

以下は、ビジネスPRプロデューサーの上田純子先生に紹介していただいたサイトからの引用です。

 

ビジネスPRプロデューサー うえじゅん!

 

投稿日 : 2016年3月24日 最終更新日時 : 2016年3月24日 作成者 : ソーシャル集客 うえじゅん カテゴリー : Facebook運用サポート, うえじゅん!

 

 

母の四十九日法要。
高野山真言宗清涼山不動院のご住職・佐々木琳慧さんとセルフィー♪

母のお葬式の前日、ドライアイス抱えた母にくっついていて起こしたぎっくり腰をたった5分のご祈祷で治してくださったすごい方。

参列していた親戚全員びっくりで、不調抱えた親戚全員もお願いして劇的改善しちゃったので、お目にかかるたび、みんなこんな笑顔に。

今日も口角アゲアゲで素敵な1日を♪

 

 

 

 

 

 

 

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