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お知らせ

実りの秋になりました。当院では大黒天と弁財天の二体を
商売繁盛の仏さまとしてお祭りしています。
商売繁盛ではお稲荷さんへの参拝者が非常に多く、
6月28日を稲荷祭りとして商売繁盛のお祭りをしていますが、
大黒天・弁財天の仏さまも商売繁盛のご利益が非常にあり、
備え付けの「ざる」でお財布を洗う真似をしてお賽銭を入れると、
お金が増えると言われており、たくさんの方がお参りされています。
6月が神様の方のお祭りなら、今月は仏さまの方の商売繁盛祭りです。

 

過去の「ともしび」は​

不動院機関誌「ともしび」

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ともしび 

              

第百四五十八号

機会をとらえる人物

旺文社の創設者、赤尾氏の著作から引用しています。今月はこのような内容です。

 

機会をとらえる人物

 社のすぐ近くに、松永安左衛門という方が住んでいる。大部分の諸君は知っているであろうが、日本電力界の巨頭である。

 氏は学校を卒業して、日本銀行にはいったが、辞して神戸に行きブローカーとなってハッピ姿で働いた。外形があまりにもみすばらしかったので、旧友も、冷笑して近づかなかった。かつて氏の生家に船頭をしていた男が訪ねて来て、 一ぜん飯屋で食ベている、あまりにもひどい氏の食事に「私だってこんなものは食えませんよ。こんな生活をしていないで、お国にお帰りになったらいかがです。旅費は私が立て替えますから」というようなことを言ったそうである。この時、氏は昂然(こうぜん)として「何を言うのだ。自分で働いて食べる飯が、どんなにうまいか、やっと自分にはわかったのだ」と言って、平気で食べていたそうである。

 同窓が背広を着て、出入りの食堂から弁当を運ばせて、いわゆる、紳士的仕事に携わっている間に、氏は黙々として、いっさいの虚栄をかなぐり捨てて、現在の土台を築いていたのである。

 ひとかどの事業をなしとげた人を、世人は往々に、運が良いとか、機会に恵まれたとか言うが、運が人生の勝敗に影響することは、ほとんどないといってもよいくらいなものである。もし、松永氏を冷笑した氏の友人たちを、逆に松永氏の地位に置いたとしても、おそらくひとりとして、氏のなしたような業績をあげることはできなかったであろう。

 人間というものは、変な自負心というようなものを持っていて、他人がすばらしい成績をあげた場合、たとえば、 一流学校に首尾よくはいった場合など、その人の真価というようなものは見ようとはしない。まず、幸運だというように考えがちである。しかし、世に相当の仕事をした人物をよく観察してみると、この松永安左衛門氏ばかりでなく、みんな並みの人と異なったところがあるのである。

 人間が小さな見栄をはったり、安逸な生活を求めたり、わずかばかりの労苦を苦痛と考えている間は、まちがっても、機会をとらえるようなことはできない。入試だって、世の仕事と一つも変わりはない。人並みに遊びもし、避暑もし、山登りもし、映画も見、しかもなお、一流学校に合格しようとすることは、木によりて魚を求めるに等しいものである。

昭一二・七

 

以上です。赤尾氏が作った旺文社は、大学入試の専門雑誌「蛍雪時代」も発行していますから、若い受験生向けの内容ですが、我々が読んでも教えられることが多くあります。文章を読むと、松永氏の生家は人を使っているくらいなので、少なくとも貧乏な家ではなさそうです。普通ですと親の資産にあぐらをかいて、贅沢三昧の怠惰な生活を送りそうなものですが、そのあとが偉いです。特に、

「自分で働いて食べる飯がどんなにうまいか、やっと自分にはわかったのだ。」のセリフにはしびれます。裸一貫の叩き上げの人しかわからない、真実の言葉と言えるでしょう。額に汗して必死に働き、それでもらった報酬でありがたいと飯を食べる、それが働くということの原点です。何のために働くのかというと、大概は金のため、生きていくのに仕方がないからいやいや働くと答える人が大半ではないかと思います。この発想では、できるだけ楽をして高い給料が欲しいということになりますが、そんな仕事はどこにもありません。あったとしたら、それは間違いなく詐欺です。

それに対して、松永氏の場合は、一生懸命に働いてわずかばかりの金を得、その金でとてもひどい食事をしているのですが、それが労働の原点であり、たとえ10円の報酬であっても、ありがたいと感謝する、その心がまえが出来たからこそ大富豪になれたのでしょう。

もっとも、このような高い志(こころざし)が子孫に受け継がれていくのかというと、往々にしてうまくいきません。どの会社も創業者は辛酸をなめつくして性根がすわっていますが、二代目あたりからおかしくなってきます。三代目の孫の代になると、小さい頃から贅沢三昧(ぜいたくざんまい)で、自分は偉いんだと勘違いしていることが多くあります。そのため三代目が道楽の末に家業をつぶしてしまうケースが多々あります。

売り家と 唐様(からよう)で書く 三代目

という川柳(せんりゅう)があります。家業をつぶしてしまって店舗を売りに出したが、三代目は道楽だけはしているから、その「売り家」という張り紙の字だけは、中国風でしゃれていて妙に上手だ、という内容です。ほめられるポイントがずれすぎていて、シャレになりません。志を伝えていくというのは、つくづく難しいものだと思います。

 

522-0342  滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地

電話  0749-48-0335  FAX  0749-48-2679 

高野山真言宗清涼山不動院

 

 

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