高野山真言宗
清涼山不動院
522-0342
滋賀県犬上郡多賀町敏満寺178番地
高野山真言宗清涼山不動院
住職 佐々木琳慧(りんけい)
電話 0749-48-0335
FAX 0749-48-2679
お知らせ
今月28日は花祭りを行います。子どもさんの参拝にはお菓子のおみやげがあります。
また、5月5日の端午の節句向けとして、「鍾馗(しょうき)」さんにちなんだ話も行います。
鍾馗さんは病気よけの神様として信仰を集めていますので、コロナの時代にはぴったりです。
今月も午前10時と午後8時に法事・法話を行いますので、ぜひご参拝ください。
ともしび
読んでおきたい孔子の言葉2
先月に引き続いて、孔子の言葉を引用します。
原典 子曰(いわ)く、人の生くるは直(なお)し。これを罔(し)いて生くるは、幸いにして免(まぬが)るるなり。
現代語訳 先生が言われた。人生まっすぐに生きるのが一番だ。小ずるく立ち回っても、幸運にして化けの皮がはがれないだけで、長続きはしない。
愚直なほど正直がいいという教えで、現代の生き方にもそのまま当てはまりますね。「世渡りだけで出世している」と評される人は、政権や会社の権力関係が変化したりすると、もろにその影響を受けて撃沈してしまったりします。とはいえ、愚直にやっていれば必ず成果が報われるのかというと、自分の業績をきちんとアピールするのは、今やプレゼン能力と言われ、はっきりとしたスキルの一つになっています。愚直にやるのも、世渡り上手に行くのも、いずれもほどほどがいいというのが本当かもしれません。
原典 子曰(いわ)く、我(わ)れ三人行えば必ず我が師あり。その善き者を択(えら)びてこれに従う。その善からざる者にしてこれを改(あら)たむ。
現代語訳 先生が言われた。人が三人一緒になれば、自分のお手本となるべき者を見出すことができる。自分より優れた者は手本になるし、劣った者でもそのまねをしないように心がければ、立派な手本となる。
私は合気道をたしなみますが、とても上手な人に教えをこえる機会はなかなかありません。しかし、非常に効果があるのが初心者の方を教えることです、初心者の方を教えていると、すぐに相手から目を離すわ、動きは直線的だわ、気を抜いて相手の手を簡単にを離してしまうわ、合気道は格闘技ですから、敵に対してこんなことをやったらすぐにやられてしまいます。私は教えながら、自分も同じことをしていないか、こうならないためにはどうしたらいいかを考えながら指導しています。つまり、自分の稽古にこれほどよいことはありません。ですから私は、へたくそな人、超ど素人の指導は大歓迎で、喜んでやっております。孔子先生の言うことは正しいと日々、身をもって体験している次第です。上達しようと思ったら、出来ない人を教えるのが一番で、これほど自分の勉強になることはありません。
原典 子曰(いわ)く、いやしくもその身を正しくせば、政(まつりごと)に従うにおいて何かあらん。その身を正しくすること能(あた)わざれば、人を正しくすることを如何(いかん)せん。
現代語訳 先生が言われた。政治家が身を正しくしていれば、政治を行うなどわけもないことだ。自分の身を正しくしないで国民を正しく導こうとしても無理な話だ。
孔子の教えは、大変もっともです。まっとうな政治をする前に、政治を行う人が身を慎まないと人はついて来ません。ただ、あまりに正論過ぎて時の権力者には煙たがられた結果、孔子を顧問にして政治を行おうとする国は現れませんでした。これより少しだけあとの時代になりますが、ギリシアでもソクラテスの弟子のプラトンが、「哲人政治」という考え方をとなえます。これは、国を治める王に高い道徳教育を施し、深く哲学をおさめさせた王を作れば、国はうまくおさまるだろうという考え方です。この理想がかなったのは古代ローマ帝国時代に一度あったきりで、あまり現実的と言えなかったため、プラトンも政治の世界からはほぼ黙殺されてしまいました。理想と現実というのは折り合いをどこでつけるのかが難しい問題なのです。
原典 子貢(しこう)問うて曰(いわ)く、一言(いちげん)にしてもって終身これを行うべきものありや。子曰く、それ恕(じょ)か。己(おのれ)の欲せざるところを人に欲せざることなかれ。
現代語訳 弟子の子貢が「一言で、一生守るべき言葉がりますか」と質問したので、先生が言われた。「それは思いやりだね。自分がされたくないことは人にもしないということだ。」
学校で習う道徳の内容そのまんまの言葉です。孔子は二四〇〇年も前の人ですが、教えている教訓は現在我々が学んでいるものと何ら変わりはありません。また、先月号に書いたように、時代が古くなったら理想社会に近づくわけでもなく、要するに今の社会や人間の生き方と何ら変わるものではないのです。今でこそ孔子と言えば中国が生んだ大偉人として尊敬の対象ですが、孔子自身は二十代で魯(ろ)の国の下級役人となり、五十二歳で代官に抜擢(ばってき)されるまで長い下積み生活を送っていました。翌年に大臣になるものの三年で失脚、晩年は弟子の教育に力を注ぎますが、他界するまでの五年間だけでした。その最後の五年間の言動が「論語」にまとめられたのです。
合掌
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